とあるはぐれものの戯言

子育てと仕事、どっちも楽しみたい

学校の授業は誰のために行われているのか

こんにちは、とももです。

 

今日はこの記事を読んで触発されて昔からもやもやと考えてたことをぶつぶつつぶやこうかと思います。

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突然ですが、あなたは学校の授業をまじめに聞いていましたか?

私は小学校の5、6年頃から、特に中学に入ってからは授業はほとんどまじめに聞いていませんでした。

授業中は教科書に隠して小さい紙に絵を描いて友達と交換したり、ひどい時だとイヤホンして音楽聞きながら机の下でテトリスやったり漫画読んだり。

まったくとんだ授業態度の生徒です。

 

この頃私は毎日学校に行くのが嫌で嫌で仕方なく、しばしば仮病で学校を早退してきていました。

学校が嫌な理由の半分は人間関係のストレスでしたが、もう半分は自分のやりたいことができないゆえの苛立ちでした。

 

学校の授業なんて教科書に書いてあることをなぞってあるだけで、教科書と資料さえ読んでれば理解できるのにわざわざ教科書と同じ内容の話を聞く必要はないと思っていました。

 

私は新しいことを学ぶこと自体は好きでした。

学ぶことは楽しくて、学びたいことはたくさんあるのに毎日つまらない授業を何時間も聞かされるのは本当に苦痛でした。

私の貴重な時間を無駄にするな!と本当に毎日いらいらしていました。

 

テストも所詮は暗記競争で、そんなもので点数をつけたところでその人の知識がどれほどのものなのかなんて測れたものじゃない、くだらないと思春期のトゲトゲしさも手伝ってよく母にぶつくさ言っていました。

だから中学と同じようなことが更に3年続くなら高校なんか行きたくない、もうこれ以上学校には行かずに働きたいと真剣に言っていました。

母はどうしたものかときっと困っていたでしょうね。

 

ところが、こんな私に父がある高校を紹介しました。当時はまだめずらしい単位制の普通科の高校でした。この学校では、一般的な高校にある普通の教科以外にも多数の専門的な教科があり、少人数制クラスで実技や生徒たち自身による調査、グループワークやディスカッションなども多数行っていくような内容でした。

この内容に私はすごく惹かれて、絶対ここに行きたい!と進路を決めました。

ところがここの高校を知った時点ではもう内申が上げられない時期で、授業態度が最悪だった私は内申点がいまいちだったので、受験ではほどほどの点数を取ったものの倍率も高かったので第一希望だったこの学校には受かりませんでした。

結局第二志望で行った高校を中退して元々の第一志望の学校を受け直すというややイレギュラーな道を選びその後は大学にも行きましたが、学ぶ意欲はあるのに満足な学びの場が得られないということの苦痛を私は中学時代に大いに感じていました。

 

 

ところでその後大学生になってから私は家庭教師のバイトを始めました。

教え子のほとんどは成績的には中〜下の子たちでしたが、一人だけすごく賢い子がいました。この子を仮にAさんとします。

Aさんは私が1言ったら10理解するような理解力の持ち主でした。数学の応用問題などでは私よりも早く解答をひらめくこともしばしばあり、数学においては大学生の私よりも中学生のその子の方が上だと感じていました。

Aさんは結局中学の3年間ずっと教えていましたが、授業内容で特別詰まっている場所があるわけでもないので、よく授業とは関係ない内容をやったりもしていました。

また学校でもこうした才ある子は中学生でもインプット中心の授業ばかりでなく、もっと研究的な、思考力を使うような学習機会がある方がいいのではないかと思っていました。

 

一方、教え子の中にはテストが毎回ほぼ全教科一桁という子もいました。この子を仮にBさんとします。

このBさんも勉強していなかったからできなかったというわけではありません。

私が家庭教師として行く前は塾にも行っていましたし、この子はこの子なりにとても努力していました。しかしどれほど噛み砕いて様々な角度から説明してもなかなか理解することができないのです。また理解したとしても暗記がとにかく苦手で10個の英単語の小テストを何度も何度も繰り返してやってようやく8、9割できるといったような具合でした。

Aさんは1を言えば10を知るタイプでしたが、Bさんは100言ってようやく1か2わかるというような具合でした。別の言い方をすれば、Aさんは新幹線、Bさんは徒歩で進んでいるようでした。

 

一般的な公立中学校だったらこのような全く力量の違う二人が同じ授業を聞いているのです。

 

授業に遅れている子は、特に英語や数学で顕著ですが現在習っている部分よりももっとずっと手前の基礎的な部分でつまづいており、本来ならばつまづいている初歩の部分まで戻ってやり直さなければなりません。

しかし、授業は進むので塾や家庭教師では遅れまいとフォローしなければなりません。授業についていこうと今の授業の内容を理解できるまでやろうとすると、つまづきの原因となっている部分まで戻る時間が取れない。原因部分まで戻ってやっていると今の授業の部分がわからないというジレンマが発生します。

本人のキャパシティと授業の進度が全く合っておらず、きちんと本人のペースでやらせてあげられればゆっくりでも少しずつ理解して進めるのに、授業に合わせなければならないせいで本人のための学習が阻害されるという状況に陥ってしまうのです。

 

このようにレベルがバラバラの生徒が40人も集まって一つの授業を聞き、一体そのうちの何人の生徒にとって有意義な授業になっているというのでしょうか。

 

私が教えた中で一番下の学年は小学校2年生でしたが、レベルの違いは中学生ほどではありませんが小学2年でも確実に存在しています。

高校になればある程度レベルで輪切りにされるのでクラス内の差異は縮小されますが、それまでの間、特に小学校5年から中学校の5年間はかなりレベルの差のある子たちが一つのクラスでまとめて授業を行われています。特に優秀な子なら小学1年からの9年が無駄になっているかもしれません。

現状では勉強が得意な子もそうでない子もどちらも適切な内容の学習ができず、多くの子どもたちが各々にとってふさわしい教育を得られていないのです。

 

好奇心旺盛で脳の柔軟性も高いこの年頃にこのような教育環境しか与えられない現状に私は苛立ちを感じています。

自分の子どもたちが小学生になる頃もまだきっと何も変わっていないだろうと考えると暗澹とした気持ちになります。私立の学校なら良い所もあるのかもしれませんが、費用もかなりかかるしまだこの問題には触れたくない気がしてあえて調べていません。長女も春から幼稚園入園だしそろそろ逃げずに向き合わないといけないんですけどね。

 

今後はこのような画一的な授業ではなく個々の適性に合わせた教育をより幼いうちから受けられるようになってほしいと祈るばかりです。

 

それでは。

 

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